「気づく」ということ
2025.06.25
気軽に書けるように、と意気込んで作ったこのブログページだったが、以前の投稿からほぼ一ヶ月が経ってしまっていた。

自分が考えていることや取り組んでいることに、どのような一貫性があるかについて考えている。その中で、自分にとってのキーワードの一つは「気づく」であることに気づいた。
例えば、スイッチのデバイスScrollMateでは、「スマホの中での無意識行為に気づく」ということ。糸電話型作品を作った時は、「些細な音の心地よさに気づく」ということをテーマに扱っていた。

我々(または自分)が、「気付けなくなっている」と感じているから「気づく」ということに着目しているのか。では、なぜ気付けなくなってしまっているのか。

慶應義塾大学の諏訪正樹先生は、「感性開拓」というキーワードの研究を行っている。

感性開拓は広い意味での身体知学習である。なんとなく「この曲いいなぁ」や「この風景がきれいだなぁ」と言っているだけでは感性は磨かれない。体感は複雑で膨大なため、認知容量の限界により多くの情報が無意識下に潜るからだ。
無意識下を含めた情報処理能力のことを暗黙知と呼ぶ(polanyi 83)。
すでに身体知でも述べたようにこのように身体に関する暗黙知は自分自身で言語化することが難しいので意識的に磨きづらい。とはいえ着眼点を人から教えてもらってもうまくいかない。
感性は体感に基づくため着眼点の扱い方は個々の身体ごとに違うからだ。また感性はこうあるべきという正解はないというのも理由の一つである。故に感性は自分自身で開拓していく必要がある。
つまり感性開拓とは自分の身体と意識に対する問題発見のプロセスと考えて良い。すなわち生き方に対する問題発見であり、すでに述べたデザインの考えと同じである。

「気付ける」ための、感性を開拓する。

前に読んだ論文「鳥の鳴き声がしたら羽ばたきを模倣する感覚提示デバイスを手首に1週間装着させて、自然とのつながりの意識の変化を調べた研究」は、「鳥の声に気づく」ひいては、「自然とのつながりに気づく」をテーマにしていると言える。

自分の場合は、何に気づきたいのか。
そして、何に気づいてもらいたいのか。もう少し考えたい。